エストニアかフィンランドへの移住を考えている

実家の庭にて

2019 年 1 月 19 日に子どもが生まれた。女の子だ。

これを書いているのが 6 月 12 日なのでブログにするのがかなり遅れてしまったが...

子どもができてからはよく写真を撮るようになったので、写真ブログをはじめてみた 。写真ブログは Tumblr を使っている。ちなみにデジタルカメラではなくアナログフィルムカメラで撮っている。

写真の話はまたいつか書きたい。

移住を考えている

なんだか唐突のようだが、自分でも唐突だと思う。しかし日本に居続けることへの懸念が集中的に発生しており、それが動機となって他国のことを調べてみると、僕が認識している以上に日本が変化の遅い国であると思えるようになった。日本の政策は大きな人口に対して最大公約数的な答えを出そうとしていることが多いように思う。政策のバランスを重視すると必然的に変化はゆっくりと見えてくる。政府の人たち( 主に金融庁 )の話を直接聞く機会があり、その感想として展望は明るいとは思っているが、望ましい姿への変革にはまだまだ時間が必要だと思った。

移住先として考えているのは、主に エストニアフィンランド だ。

日本に居続けることの懸念

前提を共有しておくと、僕は小さなスタートアップを妻と COO と 3 人で経営している。

仕事はリモートワークで完結することが多いためあまり家からは出ない。ゆえに子どもの世話や家事なんかも( まだまだ十分とは言えないが )なるべく手伝うようにしている。

そんな状況なので、平日の昼間でもいっしょに小児科へ連れて行ったり、定期健康診断を受けたり、学習のための読書会などもできている。

僕ら家族のなかで完結する物事については、割と理想に近い形で処理できていると感じることが多い。

社会への不安

妻と子どもと 3 人で出かけているときに、こんなことが話しかけられた。

まあ、そう話しかけたい理由は分かるし、深い意味がないのも分かる。分かるんだが、このような趣旨の発言がなんの気無しに出てくることに不安がある。それもよく知らない人たちから言われると意外と疲れてくる。いちいち説明するのも面倒だし、説明することでやたら大袈裟に捉えられたりするのも面倒だ。

さっきの発言に対して思うところはこうだ:

いろいろな働き方があり、男女の社会的役割の差はなくなったように思えるにも関わらず、社会から僕や妻を見る目は呆れるほど古い( ことが多い )。

だとするなら、僕らのほうが正しく社会を認識できていなかったのだということになる。

教育への不安

日本は学年別の一斉授業/平等教育をしている。テストの点数で個人を評価し競争させる傾向もある。学校に限った話ではないが、しつけの名目で褒めたり叱ったりする。

学年別の一斉かつ平等な教育というのが、一個人の子どもにとって最適なものかどうかは疑問だと思う。

フィンランドでは学年をまたいだクラスや、成績別のカリキュラムが行われているらしい。マインドセットの話は自分で確かめないと何とも言えないのだが、授業の目的はテストで高得点を取るためではなく、自分で考える力を備えることにあるという。発達心理学/学習心理学を重要視した結果らしいが、それは学校に本来求められる機能そのものではないかと思う。

僕らはアドラー心理学も勉強し始めているのだが、日本であたりまえのように行われていた教育が子どもの自立を妨げていると考えるようになった。( ちなみにアドラーだが、最近バズっているモンテッソーリ教育なんかも根底にある考え方は共通していると思う )

考えてみれば当然の話で、子どもが自立と調和を目指すために必要なのはテストではなく、褒めることでも叱ることでもない。子どもも大人と同じく、自発的な目的なしに行動することはない。必ず目的を達成するための手段として行動を選択しているのであり、子どもは社会の一員として対等だ。自分たちのためにより良い社会を目指す仲間であるという態度で接していれば自ずと正しい教育に辿り着くだろうし、結果として自立と調和を育むことができると思う。

自立していない人は一人で正しい判断を下すことができない。周囲に褒める人や叱る人がいないと行動しなくなる。自己判断できないため先例に倣い、結果的に同調圧力が生まれる。ちなみに日本人は同調圧力が強いのではなく同調圧力に弱い人が多い、そして同調圧力に弱い人が多いのは発展途上国に多い傾向があると誰かから聞いた。それが事実かは知らないが、自立と調和を促すような教育にはなっていないと思う。

家庭の教育でそれを補うことはできる。では家庭は公共教育のレガシーな部分を補うための存在なのだろうか?公共教育そのものが一個人の子どもにとって理想的なものであるべきだし、そうなれば家庭ではもっと自由なことを教えることができる。

教育の問題は日本が抱える最大の問題ではないかとさえ思う。

スタートアップにとっていい環境を求める

これは会社の話なので多分に自己責任の範囲を含む。

日本でももっといいやり方はあると思う。

しかし国をあげてスタートアップ支援を強く打ち出しているエストニアは魅力的だし、フィンランドには技術庁がありスタートアップビザでの滞在者には手当もあるという。

もともと今の仕事がリモートで成立することが多いということ、主事業である Dev は英語圏に向けて作っていることもあり、日本に留まることの損失のほうが大きいと思っている。

なぜエストニア or フィンランドか

さっきまで挙げた諸々の問題を解決できそうなのが、エストニアかフィンランドだと考えた。

国を選ぶ上での基準を優先度付けしてみるとこうなる:

  1. 教育政策
  2. 多様性を受け入れる文化
  3. スタートアップ支援

これらはゼロイチではなく、重み付けのための優先度として考えている。教育はずば抜けているがスタートアップ支援は皆無、のような極端なところは評価しない。

教育の重みは大きいので、はじめにフィンランドが候補に上がった。フィンランドの教育政策はやはり魅力的に見える。

スタートアップ支援という意味ではエストニアがエキサイティングだと思った。エストニアは国そのものがひとつのスタートアップ企業のようだ。

エストニアはプログラミング教育に定評があるようで、プログラマーにとってはいい国だと思った。これがプログラミングに極端に寄せたものではなく、子どもの自立をめざしたものであると期待している。そもそもフィンランドから輸入した教育政策を行っているらしく、一定の品質は保っているはずだとは思う。ブロックチェーンを政府が取り入れる姿勢もあり、うちの会社の事業とも親和性が高そうだ。

まずはエストニアとフィンランドが気になっているが、まだ絞り込んだわけではなく他にも候補があったら知りたい。

まずは数ヶ月の滞在

いきなり移住ではなく、まずはビザ無しで滞在可能な 3 ヶ月くらいを上限に、エストニアとフィンランドに滞在してみたいと思っている。

現地の様子を見て次のステップに進むつもりだ。

楽しみである。